こんにちは、わかめです。
先日のくらやす様移転・新店舗開店のお手伝い①に続いてくらやす様店舗が入っていた沼津アーケード名店街についてのお話。
【歴史】
【建築当時は先進的な建物だった】
昭和の戦災復興が進められる中、当時全国に展開された都市不燃化運動の先駆けとして、沼津市本通防火建築帯が誕生。
昭和28年12月20日「全国アーケード建築に一台エポックを画する初めての試み」と報じられ沼津本通防火建築帯が完成。
東京都渋谷区戦災復興計画案でも知られる建築家、池辺陽氏がモダニズムの合理化の下、店舗と住宅の混在を近代的方法で解決すべく、複数の地権者が長屋のように共同で建てる「共同建築様式」で、建物の2階部分が歩道上にせり出した構造は当時の日本に例がなく、先進的と注目され昭和29年度の建築学会賞を受賞。
アーケード名店街は最盛期の60年代ごろには60店舗ほどが軒を連ね、にぎわいを誇ったが、沼津駅前に百貨店の出店が相次いだことなどで徐々に活力が失われた。
「食品、衣類、雑貨などいろいろな店が並び、『横のデパート』と言われた。伊豆半島からは船で、休日は道路にお客さんの行列ができるほどだった」と、店主はにぎわいを懐かしんでおりました。
近年の度重なる自然災害を目の当たりにし、平成19年から建物の老朽化や災害対策、耐震建築などの検討を行い、地権者や商業者が一丸となって次世代につなぐ「新しいまちづくり」に向けて市街地再開発事業を推進してきた。
新しい建物は地下2階、地上10階建てで、1階に店舗、2階以上に住宅約105戸が入る。令和7年着工予定。
私も今回再開発について初めて知ることとなり、このような歴史的建築物に出会えたこと、その建物に歴史を刻んだ老舗呉服店くらやす様との出会い。
そして歴史の幕が下りる瞬間に立ち会う事となり、とても感慨深い思いです。
店舗内や住宅部の片付け処分をご家族3人でされており、とても大変そうでした。
夫が見かねて少しお手伝いをさせて頂きました。狭く急な階段からピアノが搬出できず、不要とのことで解体したり、私は店舗内の什器等を「ジモティー」に出展。
どれも私たちにとっては良い思い出ですが、お施主様にとっては思い出に浸っている暇もなかっただろうと推測いたします。
シャッターが下りたお店に残る看板に思いをはせた店主様より、この看板をどこかに使いたいとのご希望により、古いので上手に取れるか分からないですがやってみますとチャレンジして、上手にとることが出来たので、シンボルマークと吊り看板のアクリル板を一部カットし、新しい看板として使いました。
最後に店主の奥様と娘さんと記念撮影。いつもお二人と打ち合わせをすることが多く、女性同士とても楽しくお仕事をさせて頂きました。
終わってほっとした様な、寂しいような。
開店おめでとうございます!また伺いますね、今後ともよろしくお願いいたします。